[第62話]郷土研究の先哲・小林存 蔵書が語る篤学の士

 新潟県は、全国で最初に郷土研究誌が創刊された県であり、その点で言えば郷土研究のさきがけでした。その中心となって活動していた人物が、小林ながろう(1877-1961)です。小林は明治10年(1877)、現在の新潟市江南区横越の大庄屋おおじょうやの家に生まれました。東京専門学校(現在の早稲田大学)を卒業後は、新潟新聞社(現在の新潟日報社)に約9年間勤め、退社後は文筆家として活動を始めました。大正14年(1925)からは「東北時報」の顧問となり、廃刊となる昭和14年まで第一面に論説を書いています。

 彼が郷土の民俗に興味を抱き始めたのは、昭和7年(1932)頃からだと言われています。先祖伝来の民俗や昔話が忘れられてきている現状を危惧し、昭和10年(1935)1月17日に全国初の郷土研究誌『高志こし』を創刊しました。創刊前後に発行された「東北時報」では、郷土研究に対する小林の考えを見ることができます。彼はこの『高志路』の編集兼発行人を、亡くなる昭和36年(1961)まで続けました。

 『高志路』の代表として、在野の研究者たちを指導し支えていた小林は、自らも民俗調査に赴き、いくつもの研究論文を発表しています。直接現地の人々から聞き取り調査を行って、その土地の民俗を採集していく方法で、忘れられていた民俗の再発見をしていき、昭和28年(1953)には鈴木牧之すずきぼくしが書き記した幻の衣類「アンギン」を発見しました。

 小林は書や俳句でも活躍した人物でした。75歳の時に『新潟短歌』(注1)に加わり短歌作りに励むなど、年齢に関係なく新たなことに挑戦する一面もありました。俳句では明治40年頃から「烏啼うてい」という俳号で活動し、晩年には歌集『玉石同架ぎょくせきどうか』が出版されています。

 小林存の郷土研究は、俳句・短歌・評論・紀行・方言・地名など、幅広い分野の興味・関心に裏付けられたものでした。新潟県立文書館では、「新潟新聞」「東北時報」の彼の論説を読むこともできますし、彼の研究を支えた「小林存文庫」約1700点(注2)が保存されています。様々な分野の本が集まる「小林存文庫」からは、自由な発想と堅実な勉学をもとに、生涯にわたって郷土研究を続けた小林存の人柄をうかがい知ることができます。文書館で新潟が生んだ篤学の士に出会ってみませんか。

(注1) 昭和21年(1946)創刊の歌誌。会津八一や相馬御風が顧問となっている。
(注2) 文書群としての登録名称は「新潟県民俗学会旧蔵刊行物」。約1700点ある蔵書を、分野ごとに分類すると下のようなグラフになります。

「新潟県民俗学会旧蔵刊行物」分野別グラフ

文書館書庫の「小林存文庫」の様子
文書館書庫の「小林存文庫」の様子